退屈な日常から脱出|充実した高校生活を送り、挫折し、家を出る【人生の軌跡】

2020年11月19日生まれて初めての家出旅|日本半周

家出という初めての一人旅

2009年2月、シンと冷たい夜、ずしりと重い荷物を背負って、ぼくは静かに下宿を後にした。

市内の高校に出てきて一年が終わろうとしていた…

退屈な日常から抜け出すために

中学3年間、ぼくは退屈で代わり映えのしない毎日に辟易(へきえき)していました。

同じような生活、同じような授業、同じような部活、同じような遊び、同じような会話…、正直死にたくなるほどウンザリだったんです。

当時は家にもあまりいたくなかったし、こんな田舎町からも早く出ていきたい気持ちが強く、ぼくは進路を決める時期に大きな決断をしました。

市内の高校に下宿から通わせて欲しいと頼み込んだのです。

渋っていた両親をどうにか説得して了承は得られましたが、友だちや先生、両親もそこまで受かるとは思っていなかったらしいです。笑
(偏差値が割と高かった)

でもそんなこと自分には関係なく、合格したい一心で必死に勉強しました。
机にかじりついて、もう滅茶苦茶に勉強しました。

多分、あの時期が人生で一番勉強したときだと思う。

その結果、周囲の予想を裏切り見事合格。

新しい生活の切符を手に入れることができました。

高校での出会い|夢を語り行動する同級生たち

高校では誰も知り合いがおらず「はじめまして」の状態でしたが、クラスメイトはみんな優しくていい人ばかりだったので、とても居心地がよく、楽しい生活を送ることができました。

「おれはレーサーになりたくて、休みの日にはサーキットで練習してるんだ。」

「おれは俳優になりたくて、今は事務所に所属してるよ。」

「私はマイケルジャクソンが好きで…」

その高校は自由な校風で、色々な特徴を持った人たちが集まっていて、ぼくには彼らがとても眩しく、キラキラして見えました。

羨ましのか、憧れていたのか、尊敬していたのか分かりませんが「すごいなぁ」と思っていたことは覚えています。

夢を追いかけ充実した高校生活

部活も中学でやっていた野球を続けようと思い、野球部に入部しました。

当時は、メジャーや花形、ダイヤのAなどの野球漫画が自分の中で流行っていたので、グラウンドで活躍する自分を想像したり、いつか中学の同級生とグラウンドで試合できる日がくるんじゃないかと期待したり、そんな夢や妄想を胸に抱きながら部活に打ち込みます。

決して上手かった訳じゃないですが、ジムに通ったり、休みの日に自主練したり、必死にとまではいかないまでも自分なりに努力して頑張ってました。

恥ずかしながらその時は、「野球でプロになりたいな」と純朴にも、本気でそう思っていたと思います。 それか、そんな自分に浸っていたのかもしれません。

ともあれ、そんな充実した高校生活を送っていたぼくですが、徐々に自分の甘さによってその充実を失っていきます。

未熟な高校生|成績低下と遅刻

まず、成績がすごい勢いで落ちていきました。

部活を言い訳にしていたのと、中学の感覚で「授業を受けていれば大丈夫だろう」と家で勉強をほとんどしないでいたら授業に全くついていけず、赤点だらけになってしまいました。

そしてもう一つ、高校生活に慣れていくにつれて、ぼくは遅刻を繰り返すようになってしまいます。

今でも変わりませんが、ぼくは朝起きるのが本当に苦手なんです。

仕事や用事があれば頑張って起きるのですが、できることならいつまでもずっと寝ていたいと思ってしまいます。
起きている時ならいざ知らず、寝起きの頭で欲望に抗うのは本当に大変です。

朝起きたら嬉々として起き上がりたくなるような日常があればどんなに幸せだろうかと思います。

そんなこんなで、学校にも部活にも度々遅刻するようになって高校生活が半年を過ぎようとした頃、ついに自分の罪悪感に限界がきました。

部活に遅刻した絶望の朝

ある休日の朝、目が覚めたのは部活の練習が始まってからしばらく経った時でした。

目が覚めて時計をチラ見…からの二度見

…は?

布団からガバッと飛び起きて、時計を確認しながら頭の中はサーッと冷えて理解した。

軽く絶望しながら、思考は半分パニックになりながら高速回転して、下手な嘘を携えて監督に電話し、秒速で見抜かれた。

一旦落ち着いてこの後出てくるように言われて電話が終わる。

(時間が戻ってくれないかなぁ…)

(これ夢だったりしないかな?)

などと現実逃避しながらもノロノロと部活の準備をして、沼にはまったような重い足取りで自転車を漕いで学校に向かっていく。

自律できなかった罪悪感の結末|人生初めての挫折

学校に着くと、それが正しい姿勢だと言わんばかりに、自分から監督の前に正座しました。

そのとき監督は、怒るでもなく突き放すでもなく、しょうがないやつだなぁという風に少し笑いながら、優しく叱ってくださいました。

ご飯を食べていないだろうと、弁当と飲み物まで用意して頂きました。

そういった心遣いに、本来であれば感謝するのが当然なのだと思います。

しかし、その時の自分はそういったご厚意に対して、とても申し訳なく、居たたまれない気持ちでいっぱいになってしまいました。

(迷惑をかけてしまった。これ以上迷惑をかけたくない。また同じことで気を病むのが耐えられない。)

そして、高校生活が半年を過ぎた頃、ぼくは野球部を退部しました。 おそらく人生で最初の挫折です。

最後まで「いつでも戻ってきていい」と気にかけてくれた監督には本当に感謝しています。

高校生活二度目の入部|演劇部と初めて知った遊び方

野球部を辞めた後ほどなくして、ぼくは演劇部に入部することにしました。

せっかくの高校生活、存分に満喫したいし、やってみたいことを我慢したくなかったんです。

演劇部は締めるところは締めるけど、体育会系のような厳しさはあまりない居心地の良い緩さの部活でした。

役者志望でしたが、全体を通して大道具などの裏方仕事をすることが多かったです。

実家が建築系の仕事をしており、小さい頃から家業を手伝っていたのもあり、折りたたみ式の黒板などを作ったり道具作りでは結構活躍できました。

部活外でもみんなで先輩の家に遊びに行ったり、カラオケやゲームセンター、公園ではしゃいだりして、野球漬けとは違った楽しさに溺れていました。

高校生と担任の先生

”学生の本分は勉強だ”というわけではありませんが、勉強そっちのけで楽しいことだけやっていれば当然成績はガタガタになるわけで

気づけば留年ぎりぎりという状態です。

そうなると、担任の先生にも何度も呼び出されて叱られるようになり、時には下宿に訪ねてこられたこともありました。

今でも時折思い出します。

ある日先生に

「今の自分をどう思ってるんだ?」

と聞かれることがあり、

「…情けない…です。」

とぼくが答えると

「情けないなんて言うな!!!」

と凄い剣幕で怒られました。

どういった内容だったのか、今ではあまり思い出せませんが、それ以来自分のことを”情けない”と言うことはほとんどなくなったように思います。

その後、先生は涙を流しながら言いました。

「お前は人の心がわからない」

自分がこんなにも言っているのに、どうして気持ちが伝わらないのかと。

(この言葉はずっと自分の中に残っていて、人の心ってなんなのだろうか?と疑問を持つきっかけにもなりました。)

その頃のぼくはまだまだ人に表情や感情を見せるのが苦手で、先生から見ると自分の言葉がぼくに全然響いていないように思えたのでしょう。

そう言われながらぼくはまた、

(あぁ、申し訳ないな…)

と思っていました。

このままじゃダメだと悩んで出した答え

それからまた、自分のだらしなさに首を締められて悩むようになりました。

自分の今の体たらく、両親への気持ち、夢ややりたいことを持っている友人たちと持っていない自分…。

このままじゃいけないという想いが日増しに強くなっていき、そして

一人で生きていこうと考えたのです。

高校生活の終わり|旅立ちに向けて

自分で働いて生活していけるようになるまで何年も帰らないつもりでした。

若く、短絡的で、世間知らず、頭の悪いお馬鹿さん、なんと言われようと返す言葉もありませんが、その時は必死で本気でした。

移動方法に働き先の目星、当面の食料などを準備し、調べて、部屋の荷物を隅っこにまとめてすぐに退居できるようにし、両親へ手紙を書き、すぐに見つからないように決行日を金曜に決めました。

決行前夜、部屋を片付けている時に友だちが下宿を訪ねてきたのには驚きましたが、
(後で聞いたら、その日彼らと遊んだ時のぼくの様子が変に名残惜しそうだったようです笑)

いよいよ当日を迎えました。  


…夜、駅の終電が近くなった時間。

お世話になった部屋に別れを告げて扉を閉め、掛けた鍵をそのままドアポストの中に落とす。

誰にも見つからないように静かに階段を降りる。

人通りのなくなった夜の通りへ踏み出す…

 

真白な息を感じる2月、ぼくは家出した。

 

次回:旅の始まりと凍える2月の公園野宿