トリ#12 【うず 価値のるてん】(UZU)
商売繁盛!
近頃私はようやくこれまでの蓄えてきたお金を出し尽くすことができるようになってきた。
そして、そうすると来月の家賃諸々の支払いもできなくなる。
さあようやくだ。
私は絵を売って価値を回し、価値を生み出していく。
お金とは何か。
価値の代替道具だ。
欲しい。あげる。両者にとって同等の価値を。偏りは歪みを生み出すこともある。
価値とは何か。
心が生み出すもの。
便利・したい・嬉しい・応援・期待・ほしい・したくない・喜び…
価値交換の原理は、返報性の原理がベースであり、等価ではない価値交換において、その余剰分は意図せぬ形でそれぞれに返ってくる。
価値交換とはそれぞれが関与すること。
受け取ったものがまた新しい価値を生み出す。
受け取る基点が他者にあり、受け取ったものを自分の中を通して生み出していく。
そうして循環していくこと。
それが価値のるてん。
情報的存在である世界に生きている私たちにとって、価値を情報と言い換えてもいい。
紙幣・硬貨といった変動する貨幣物質、食物、命、映画、創作、表現、会話、思想、価値観…
他者がその中を通して創出する情報エネルギーを受け取り、その対価として自分が創出した情報エネルギーを当人、または第3者らに向けて送り出していく。
その返報には往々にして時差が生まれるものと考えられる。
そう考えると、今の時差が許容されない貨幣システムは、紙と金属玉に信用という情報をあてがった幻想であると言える。
否定するつもりはないし、それが生み出した経済効果や、営みを多角的に広げていけた成果としては申し分ないと思う。
が、信用が力を持ちすぎ(または持たせすぎ)、力を振るう者たちの心・魂の成長が追いつかない程になってしまってからは、そのシステムの人間にもたらす恩恵は限界をむかえ、長らく支配の道具となり果ててしまった。
情報の交換、価値の交換とは何か。
所有とは何か。
なんのために、誰のために、自分のために、他者のために。
価値交換から価値循環へ。
返報性のしん髄は出した分だけ時をおいて返ってくる。
たくさん出してどんどん回す。
あなたがこれまで蓄えてきた価値を、私がこれまで蓄えてきた価値を
出して出して出して出しまくる。
出したところで無くなりはしない。
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